自己承認欲求型キャリア構築の末路

自己承認欲求型キャリア構築の末路

昨日、こんなことをツイートしました。

 

 

今回は、これをツイートするに至った経緯である小説家・朝井リョウさんの著書を引用しながら、自己承認欲求型キャリア構築の末路を考えていきたいと思います。

それではいきましょう。

 

あのころは、周囲に喧伝したいことが沢山あった

以下は、2019年に発行された『死にがいを求めて生きているの』からの引用です。

この本では時代に取り残された弓削という中年ディレクターの話が出てくるのですが、読んだ当時は嗚咽するぐらい胸を抉られました。

 

弓削は、朝起きて顔を洗うように、Google Chromの新たなタブを立ち上げた。そしてブックマークバーからFacebookを選択し、画面をスクロールさせていく。家族で過ごした夏休みの思い出、転勤に伴う送別会、子どもがいる家族同士での食事会、新たにローンチしたサービスの紹介……全盛期を過ぎたSNSには若い人間は寄り付かなくなり、そこには周囲に喧伝したいことで両手がいっぱいの同世代しか残っていない。

四十を前にした旧友たちは、学生のころはあれほど自由に振り回していた両腕で、その二本ではもう足りないくらいのものを抱えている。原付のハンドルを握っていた手で子どもの頭を撫で、麻雀牌を操っていた指でゴルフクラブや革靴を磨き、夢を語り合う友人ではなく仕事上の苦楽を共にしてきた仲間たちへビールのジョッキを差し出す。みんな、顔が、年相応のものになっている。顔や体に生まれる皺は、老いを表す印ではなく樹齢を表す年輪のようだ。

大学を卒業するころ、これから社会に出る友人たちとは違い、すでに自分の能力が作品として評価されていた弓削は、周囲から一目置かれる存在だった。入社一年目から即戦力として動き続けていた弓削は、上司のもとで命令されたことしかやらせてもらえない、研修や電話番がつまらない等と愚痴る同級生たちに、一丁前にアドバイスを繰り出していた。将来やりたいことへの熱い気持ちを持つこと、そしてその気持ちを行動に移すことが一番大事だと思う、そうすれば時間はかかるかもしれないけど周りがわかってくれるようになるし、いずれ評価もついてくる、自分がそうだったから——同級生はみな、マスコミと呼ばれる業界で、ドキュメンタリー界の若手ディレクターとして活躍する弓削の言葉を有り難がった。弓削は関わった作品が放送されるたび、友人たちに連絡をした。あのころは、周囲に喧伝したいことが沢山あった。

今、かつての友人たちは多くの部下を抱える地位に就いている。弓削が今どんなものを撮っているかなんて、誰も興味を示していない。弓削も彼らと同じように太ってきているが、それは蓄えるべきものを蓄えてスーツが似合うような貫禄が出てきたわけではなく、好きなものばかりを周囲に並べた結果、幼さが物質化して体にこびり付いてしまっただけだ。

久しぶりの地上波放送が決まりました、原点回帰の無人島ドキュメンタリーです、気合を入れて作りましたのでぜひ観てみてください——ここに、そんな文章を投げ込んだら、みんな、また自分のことを気にかけてくれるのだろうか。雪乃はこの家に戻ってきてくれるのだろうか。

朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』より

 

僕は幼い頃から承認欲求が強く、「自分が書いたものをみんなに読んでほしい!」という理由で出版社で働くキャリアを選びました。

学生の頃は「そんな夢を持ってるなんてすごいね!」「本屋に並んだら絶対に読むね!」と言ってくれる人もいましたが、夢を叶えた後も気にかけてくれる人はいませんでした。

結局、僕はただ自分の出した出版物をSNSでアピールすることだけに生きがいを感じる自己満厨になってしまい、何のために働いているのかわからなくなり辞めてしまいました。

 

あのまま働き続けていたら、きっと20年後には僕も弓削のような末路を辿っていたんだと思います。

 

「生きてくことって、自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくことだと思うの」

以下は、2012年に発行された『何者』からの引用です。

直木賞を受賞し、映画化もされた作品なので、ご存知の方も多いかもしれません。

瑞月という女性が、隆良という僕みたいな承認欲求厨を諭すシーンが今回の記事の肝になります。

 

「最近思ったの。人生が線路のようなものだとしたら、自分と全く同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって」

「生きてくことって、きっと、自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくことだと思うの」

「今までは一緒に暮らす家族がいて、同じ学校に進む友達がいて、学校には先生がいて。常に、自分以外に、自分の人生を一緒に考えてくれる人がいた。学校を卒業するって言っても、家族や先生がその先の進路を一緒に考えてくれた。いつだって、自分と全く同じ高さ、角度で、この先の人生の線路を見てくれる人がいたよね」

「これからは、自分を育ててくれた家族を出て、自分で新しい家族を築いていく。そうすれば、一生を共にする人ができて、子どもができて、また、自分の線路を一緒に見てくれる人が現れる」

「そういうことだと思うんだ。自分以外の人と一緒に見てきた自分の線路を、自分ひとりで見つめるようになって、やがてまた誰かと一緒に見つめる日が来る。そしてそのころには、その大切な誰かの線路を一緒に見つめてるんだよね」

「だから今までは、結果よりも過程が大事とか、そういうことを言われてきたんだと思う。それは、ずっと自分の線路を見てくれてる人がすぐそばにいたから。そりゃあ大人は、結果は残念だったけど過程がよかったからそれでいいんだよって、子どもに対して言ってあげたくなるよね。ずっとその過程を一緒に見てきたんだから。だけど」

「もうね、そう言ってくれる人はいないんだよ」

「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見れくれる人はもう、いなくなったんだよ。進路を考えてくれる学校の先生だっていないし、私たちはもう、私たちを産んでくれたときの両親に近い年齢になってる。もう、育ててもらうなんていう考え方ではいられない」

「私たちはもう、そういう場所まで来た」

朝井リョウ『何者』より

 

社会人になってから感じる孤独って、意外とここに書いてあるようなことが原因になってる気がします。

就職や転勤で遠くに引っ越してしまったり、職場の人としか話題を共有できなくなってしまったり、年齢を重ねるごとに結婚や健康の話が中心になってしまったり、家庭を持ち、子どもができると疎遠になってしまったり。

 

それは至極当然のことですが、当時の僕は頑張っていれば振り向いてもらえる!と勝手に信じ込んで目を背けていました。

自己承認欲求型キャリアの場合、社内の人や取引先の人にいかに認めてもらえるかが案外命運を握っているのかもしれません。

しかし当時の僕は「編集長に褒められるためにやってんじゃねーんだよ!」と拗らせていたので、満たされない承認欲求はどんどん肥大化していきました。

 

「人間は三種類いると思ってる」

最後は、再び『死にがいを求めて生きているの』からの引用です。

 

「俺、人間は三種類いると思ってる」

「一つ目は、生きがいがあって、それが、家族や仕事、つまり自分以外の他者や社会に向いている人。他者貢献、これが一番生きやすい。家族や大切な人がいて、仕事が好きで、生きていても誰からも何も言われない、責められない。自分が生きる意味って何だろうとか、そういうことを考えなくたって毎日が自動的に過ぎていく。最高だよ」

「二つ目は、生きがいはあるけど、それが他者や社会には向いていない人。仕事が好きじゃなくても、家族や大切な人がいなくても、それでも趣味がある、好きなことがある、やりたいことがある、自己実現人間。このパターンだと、こんなふうに生きていいのかなって思うときが、たまにある。だけど、自分のためにやってたことが、結果的に他者や社会をよくすることに繋がるケースもある。自分のために絵を描くことが好きだった人が漫画家になって読者を楽しませる、とかな」

「三つ目は、生きがいがない人。他者貢献でも自己実現でもなく、自分自身のための生命維持装置としてのみ、存在する人」

「俺、思うんだわ」

「つらくても愚痴ばっかりでも皆とりあえず働くのは、金や生活のためっていうよりも、三つ目の人間に堕ちたくないからなんだろうなって。自分のためだけに食べて、うんこして、寝て、自分が自分のためだけに存在し続けるほうが嫌な仕事するより気が狂いそうになること、どこかで気づいてんだろうなって」

朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』より

 

僕の場合は言うまでもなく、二つ目の自己実現型でしょうね。

でも他者からの承認を生きがいに置いているので、自己肯定をすることが難しい。

その点、一つ目の他者貢献型は生きやすそうだなとも思います。

家庭を持って子どもができれば、自分という存在そのものが丸ごと承認されているような気持ちになるんでしょうか。

 

どちらにせよ、自分を肯定するための方法を他者に委ねてはいけないということです。

 

朝井リョウさんの本はこのような核心を突いたものが多く、新刊の『スター』もとても面白いので、ぜひ読んでみてください。

 

それでは、素敵な退職ライフを。

 

 

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