僕が社会人2年目で二度の短期離職をした理由

僕が社会人2年目で二度の短期離職をした理由

まずはご覧になってくださり、ありがとうございます。

僕は現在24歳、社会人2年目にして短期離職×2を経てニートという、オワコン界のエリート街道を猛進しています。

 

流れ的には、新卒で入社した会社を1年半で辞める→奇跡的に大手企業へ転職→わずか5日で耐えられなくなり辞める、という感じです。

この記事では、これまで僕が二度の短期離職をした経緯や理由を紹介しているので、どうか最後までお付き合いください。

 

1社目、零細出版社(在籍期間1年半)

僕は学生の頃から、将来は出版社で編集者として働きたいと思っていました。

子どもがスポーツ選手に憧れるのと同じで、カッコよさそうだったというだけで特に深い理由はありません。

そんなこんなで(〜10年の時が流れる〜)

 

私立文系の中の上くらいの大学を卒業した後、縁あって出版社に内定をもらいました。

といっても、新卒で入った出版社は従業員が10人以下の小さい会社でした。

そこで1年半、編集者として働きました。

 

けれど会社はそもそも従業員が少ないので慢性人不足みたいな感じで、新卒ゆとりの僕にとって最初はめちゃくちゃ過酷でした。

研修はおろか同期もなし、仕事は自分で取ってこいとばかりに放り出され、とりあえず怒られてから初めて教わるみたいな感じで。

 

サービス残業は月100時間超え、休日出勤も当たり前、毎月の校了時には会社に泊まり込みで3徹くらいすることもザラにありました。

しかも給料は固定給なので、どんなに働いても手取り20万っていう。

俗に言うブラック企業ですね(笑)

 

でも社会人1年目は「これが普通なんだ!」と信じて疑わなかったし、仕事自体は楽しかったので、辞めるつもりはありませんでした。

仕事はキツイけど個人としての成長のスピード感は早く、実力次第で仕事を任せてもらえる、いい意味で自由な会社でした。

 

しかし、年末の校了作業中に上司がトイレの前で倒れているのを発見した時、僕は初めてこの仕事に恐怖を感じました。

その時に今まで見ないようにしていた、上司や先輩が人生のあらゆるものを犠牲にしながらこの仕事をしている事実に直面し、自分の未来が急激に不安になったんです。

 

そうして1年が経ったころ。

仕事とは別で、私生活で事件が起きます。

 

もともと僕の家は母子家庭で、母と姉と3人で暮らしていたのですが、僕は就職を機に一人暮らしを始めました。

というのも、昔から姉がうつ病を患っており、精神錯乱して家で暴れまくることに辟易していたので、早く家を出たかったからです。

 

そんな姉がある日突然、母親を殺そうとして警察沙汰になりました。

 

その時は幸い措置入院という形になったのですが、当時は姉が退院する前に母を連れてどこか遠くに逃げようと思うくらい、僕にとっても母にとっても凄惨な出来事でした。

姉とは今なお絶縁状態にあります。

 

そしてそのわずか1ヵ月後、母親がもともと患っていたガンの再発により、急逝しました。

 


 

当時は辛すぎて、仕事がほとんど手につかず、加えてコロナの緊急事態宣言下だったので、家で塞ぎ込むことが増えました。

姉と母というたった2人の家族が急に目の前からいなくなり、自分は独りなんだということを痛いほど思い知らされました。

そして同時に、母親に姉を押し付けて一人暮らしをしてしまったこと、仕事が忙しすぎて実家にまったく帰れなかったことを僕は深く後悔しました。

 

仕事のモチベーションは皆無になり、生きる意味さえ見失いそうな毎日の中、僕の頭にふと浮かんできたのは、「環境を変えてみる」ということでした。

僕は編集者になるという夢を叶えることが、親孝行になると思っていました。

しかし働いていく中で厳しい現実を知り、その先を描くことができなくなっていました。

もう親孝行をする相手もいません。

 

休職も視野に入れましたが、ただでさえ人手不足なのに席を空けておいてもらうのは申し訳なく、このまま働いても何も変わらないと思い、仕事を辞めて家を引っ越しました。

 

2社目、大手ゲーム企業(在籍期間5日)

そこからの日々は、生きる活力を取り戻していく日々でした。

やはり新しいことをするのはワクワクするし、転職活動も物件探しも、生きるモチベーションに直結していたように思います。

在職中に転職エージェントを3社利用して面接を受けまくった結果、CMなどで有名な大手ゲーム企業に内定をもらうことができました

 

編集者としての採用だったので仕事は変わりませんが、キャリア的には中小から大手へのランクアップだったので、気持ち的にも上向きになっていました。

母ちゃんも空の上から見てくれてるかな、なんて思いながら、入社初日を迎えました。

 


 

ところが、入社初日に感じたのは「違和感」でした。

職場の雰囲気は特に悪くなく、仕事も今までの経験を活かせるので、不満はないはず。

けれど、そこでやりたいこと、成し遂げたいことを上司に聞かれても、まったく答えられない自分がいました。

 

入社前からもっとよく精査できたはずなのに、僕は「環境を変えること」を重要視していて、肝心の「どう生きていきたいか」ということをまったく考えないで転職してしまったことに、その時ようやく気づいたのです。

 

自分で自分が本当に嫌になりました。

たとえ大手企業とはいえ、編集者という職業柄、働き方やキャリアビジョンの不透明さは前職と大差ありません。

このまま我慢しながら働き続けるしかないということに、入社初日から絶望しました。

 

その時はもう家族もいないため、いつ死んでもいいやというマインドだったと思います。

でも逆にいつ死んでもいいじゃあ生きてる間はなるべく我慢したくない、という考えにだんだんとシフトしていきました。

 

辞めたら先は見えなくなるけど、最悪その時は死んだっていい。

そう考えたら、少しだけ楽になりました。

そこからの行動は早く、わずか在籍期間5日という早さで僕は退職することになりました。

 

今思えば、突発的で短絡的な考え方だったかもしれません。

 

リンダ・グラットン/アンドリュー・スコットによる著書『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』には、

「あわてて決断、ゆっくり後悔」

という金言がありますが、

 

こうして転んでしまったからこそ、僕は自分の人生を真剣に考えるようになりました。

キャリアを考えるということは、自分の生き方を考えること。そう思えば、空白期間だって就職活動の一部だと言えるはずです。

 

そして人生の空白期間へ

こうして僕は社会人2年目で二度の短期離職を経験し、人生の空白期間に突入しました。

しかし中小と大手の会社を経験したことは、間違いなく今後の自分の働き方を模索する一助になると思います。

再就職するなら、前職以上の会社には入れないかもしれないけど、しばらくは社会と自分を見つめ直しながらキャリアを考えていきたいと考えてます。

 

少々重い内容になってしまいましたが、他の記事では別人が書いたかのようにハッスルしていきますので、これからも読んでいただけると嬉しいです!

 

それでは素敵な退職ライフを!

 

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